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頑張ってオイシイ思いをできる時期

体育祭シーズン真っ只中。
クラスの中心で準備を頑張ったり、中心の人をサポートしたり、
控えめな関わり方をしたり、それぞれだと思いますが、
せっかくの行事、良い思い出になったでしょうか?

佐井寺中、第二中の方は早目の中間テストも終わり、お疲れさまでした。
片山中の方は、体育祭が終わって疲れている中で範囲表を受け取ることになるのでしょうか。

どこの中学校、どの学年に対しても言えることですが、
塾に通っている/いない、塾や勉強法が合っている/いないに関わらず、
2学期は点数が下がる人がすごく多い。

学習する単元の難しさに加え、学習時間の確保をしないままの日々を迎える人が多いから。

【非常に差がつく2学期】だからこそ、少しの変化で、
良い意味での【差をつける】【差をつめる】そんな2学期に変えていくことができます。

夏休み、思うように頑張れなかった…。

9月、体育祭や文化祭の準備に追われて時間がとれなかった…。

———そんな人にこそ、伝えたいこと。

2学期は長い。
序盤がうまくいかなかったとしても大丈夫。

ここから、どれだけこだわるか、だと思います。

学期末を迎えるまで約90日。

夏休み丸ごと2回以上の時間が残っている。

その期間に1日4時間ずつ学習時間を確保すれば、
夏休みに毎日10時間頑張ったのと同じくらいの時間がとれる。
(部活をやっている1・2年生はその半分で良いです)

2学期後半戦、勝ちにいきましょう。
勝てなかったとしても、全力でぶつかってみましょう。

やった分だけオイシイ思いができるのはこの時期ですから!

もうすぐ中間テスト

最近、お知らせや塾内イベントの話が多かったので、たまには塾の日常の話を。
(ブログだけ見ていると、お菓子作って配ってるだけの塾だと思われても仕方ありませんしね)

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2学期が始まって早1ヶ月。
あっという間に2学期中間テストまで1ヶ月を切ってしまいました。
このHPの中で何度も出てきますが、『テスト1ヶ月前からテスト前』がホームズの定期テストの考え方。
テストに向けて、授業以外の日にも自習に来だす生徒も出てきた中、私たち指導スタッフも、中間テストの範囲予想をして、必要なことを日々の授業に乗せて発信していっています。
そして一番私たちが口酸っぱく言うのが、「提出物をそろそろはじめよう!」

「え、もう提出物をやるの!?」と初めは戸惑っていた生徒たちも、だんだん慣れてきて早め早めの準備を心掛けるようになってきました。
先日驚いたのは、ある生徒が『塾でやった範囲まで、英数のワーク終わらせたよ~』と報告してくれたのです。
しかもそれは、9月の前半。まだ私たちが提出物の話をしだす前!
周りのみんなはびっくり。それ以上に私がびっくりして素っ頓狂な声を出してしまったのを覚えています。

これがまた、一人じゃないんです。
当然でしょ?みたいな顔して「え?英語のワークはもう終わってるよ」なんて言ってくる生徒が何人も!
2週間前の時点で『テスト範囲が分からないからワークできない…』なんてことを言っていた子もいたのに!

“塾や学校で習ったところの復習として、その都度ワークを解く”
周りの大人がさも当然のように言う「当たり前」のワークの使い方ですが、当たり前のことを、当たり前にするのは簡単なことではありません。

「締切ギリギリまで引っ張らない」「余裕のあるうちに、しなければならないことをやっておく」
そんな習慣が、生徒たちについてきたのは、すごく嬉しく思います。


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おまけ。

生徒たちに言い続けているうちに、大学生の指導スタッフにも嬉しい影響がありました。
「生徒たちに、早くから始めろって言うからには、自分もそう動くべきだな、と思って。」
と、あるスタッフは、大学のレポートやテスト勉強をかなり早めから始めたようで、余裕を持ってテスト期間を過ごすことができたようです。
おかげで、テスト期間にも関わらず、安定して授業に入ってくれました。
本人良し、成績良し、塾良し。まさに三方良しのエピソードでした。

大阪府28年度の公立高校入試について(改善方針案)

8月の終わりに、28年度(現中2生)以降の高校入試についての改善方針案が、大阪府教育委員会か発表されました。学校やニュースなどでからすでに話を聞いている方も多いと思います。
当塾でも、先日発行した塾内新聞で特集を組みました。

まだ改善方針「案」の段階ですが、気になるその中身についてご説明したいと思います。

  • 受験機会について

① 前期・後期試験を、「特別選抜」「一般選抜」に
今まで前期・後期と2回行われていた試験が、原則3月の「一般選抜」に一本化されます。普通科だけでなく、今まで前期試験で行われていた文理学科などの試験も、一般選抜で実施されます。

<特別選抜を実施する学科>
●音楽科・体育科・芸能文化科・総合造形科といった、実技検査がある学科
●エンパワメントスクール
※エンパワメントスクールとは、一人ひとりの習熟度に合わせて、高1で中学までの内容を復習し、高2から高校の履修科目を始めるカリキュラムが組まれている公立高校です。27年度(現中3生)入試から実施されます。箕面東高校・西成高校、長吉高校の3校が現在指定されています。

② 同一学校内での複数志望が可能
複数の学科がある高校では、学科間で同一の試験問題を使い、第一志望:文理学科、第二志望:普通科といった複数志望が可能になります。
特別選抜は2月中旬~下旬、一般選抜は3月初旬~中旬に実施されます。特別選抜は私立高校の合格発表に、一般選抜は特別選抜の合格発表に重ならないように、出願時期が調整される見込みです。

  • 公立高校入試に関する資料について

① 学力検査
原則、特別選抜・一般選抜ともに、国・数・社・理・英の5教科の学力検査を実施。特別選抜では、実技検査や面接なども実施されます。

② 調査書(=内申点)
1) 絶対評価の導入
今まで行われていた相対評価から、絶対評価へ変更になりました。絶対評価は、例えば「テストで95点以上なら10、90点以上なら9…」といったように、それぞれに基準を設けて評価を行う方法です。

2) 中1の成績から内申点に入る(※完全移行は現小6以降)
現在は、中3の時の成績のみが内申点評価の対象でしたが、これからは中1・中2の成績も評価に入ります。(比率は中3・中2・中1の順に3・1・1)
※ただし、経過措置として現中2生の受験の際は中3の成績のみ、現中1生の受験では中3・中2の成績(比率は3・1)のみが評価対象になります。

3) 主要5科目・実技4科目を等しく評価
従来では、実技4科目は当日の試験がないため、内申点での評価を重視する傾向にありましたが、28年度入試からは、9教科とも同等に扱われます。

4) 「活動/行動の記録」の欄を新設
教科の成績だけでなく、部活動や委員会活動、ボランティア活動や取得資格などが、可能な限り具体的に記載されるようになりました。

③ 自己申告書(≒志望動機の作文)
公立高校の受験者全員が自己申告書を書くことになりました。記載内容については、毎年大阪府の教育委員会からテーマが提示されます。(例:中学3年間で学んだこと、3年後の自分を想像する…など)

自己申告書と調査書の「活動/行動の記録」の記載内容が、ボーダーゾーン(合否のボーダーラインの上下合わせて20%)の生徒の中で、各高校が求める生徒像に合致した場合、優先的に合格の対象になります。

この改善方針はあくまで「案」であり、正式決定は11月の教育委員会会議で行われる予定です。
正式発表があり次第、またこのブログでお伝えいたします。

3)「自分のデスクでは集中できない」という言葉の裏側に迫る

■ 大学進学後に与える影響

はじめに申し上げておきますと、人生のゴールが大学受験や高校受験であるならば、塾や予備校の自習室で思い切り集中して頑張れば良いと思います。

しかし、大切なのはむしろその後。大学進学後、就職活動、資格試験、就職してからの日々の中で、「自習室」のような環境が用意されている例の方が稀です。

大学のテスト前、近くのファミリーレストランで数人で集まって勉強する学生たちの様子をみて、どう考えても勉強がはかどっているわけがないというのは、安易に想像がつくことです。

また、企業に就職した後などでも、「自分のデスクでは仕事に集中できない」と口にする若者は少なくありません。

こういった習慣は、中学・高校生時代の勉強する環境のつくり方に影響があるのではないかと考えています。

 

■ 集中できない理由が「他人のせい」になる!?

家で集中できない理由を中高生にたずねてみると、非常に高い確率で「家族がうるさい」「布団で横になってしまう」という返答が返ってきます。

でも、そのように言う学生は多くの場合、「家族が静かでも家ではやらない」「図書館や塾の自習室などでやっていても居眠りしてしまっている」といった感じなのではないでしょうか?

塾や予備校などの自習室で、居眠りしている生徒に対して、徹底的に叩き起こすような体制をとれているところは、もしかするとないのかもしれない、というぐらいに少ないです。大学生のチューターが同情して声をかけるのを躊躇したり、一度起こしても再び居眠りを始める学生に粘り強くアタックできる可能性の方がずっと低いですから。

本当は弱いのが自分なのに、家族や他のもののせいにして、自らの意志の弱さから目をそらそうとしている可能性が圧倒的に高いのだと思います。

部屋でついついケータイを触ってしまったり、手を伸ばせば届く場所にある漫画などを読んでしまったり、映像授業の予備校などではPCで勉強と関係のないページへアクセスしていたり、生徒本人に原因があります。

自習室がないと勉強できない、という学生は、自習室があってもさほど集中できていない、もしくは「自習室が●●だったから今日は集中できない」と、次々に「他の何かのせい」にしながら、勉強から逃げているだけなのではないでしょうか?

 

■ 「あの先生、教えるの下手」という発言の裏側

アルバイトの大学生などに、「大学の様子はどう?」などと話しかけると、ほとんどの学生は、「●●という科目の先生が教えるのが下手で…」と答えます。自ら選択を行い、履修している科目=興味のある分野において、このような言葉を耳にすると、違和感を覚えずにはいられません。

確かに大学で講義を行っている先生の多くは、研究の傍らで講義をしているので、「どうすれば学生たちが興味を持つか?」ということにまで目を向けてない場合が多いです。

しかしながら、自らが興味を持っている内容に対して、教える人が上手なのか下手なのか、というだけで「やる・やらない」を決定してしまうのは、やはりおかしいのではないでしょうか。

「何かを教わる」という前提でなくて、「その道を真っ直ぐに生きるオジサンのお話」と思って話を聞いてみると、すごく興味深く面白い話ばかりなのですが、「単位をとり、卒業するためだけに大学へ通っている」という学生にとっては不要なのかもしれません。

中学や高校の授業でも、「学校の先生のせいで嫌いになった」というのが減れば、社会は急速に良い方向へ変わっていくのではないかと思ったりもします。

 

■ 最も大切なのは、「環境を変える力」だが…?

世界情勢・経済の動向・資源問題・環境問題など、様々な面からみて、今まで私たちが「当たり前」と考えていたことが刻一刻と変化している世の中です。

さらに変化が大きくなるであろう、今後の社会に生きていく子ども達には、「郷に入っては郷に従う」ような環境適応能力よりも、環境を変えていく力が必要になってくると言われます。

とはいえ、環境に対して文句を言いながら、自らはさほど努力をしない若者が増えてきているのも事実です。

 

まずは環境に合わせて自分を好転させていく力を子ども達に身につけてもらい、その後に、自分だけでなく周囲をも好転させるだけの影響力を持たせてあげたいと思います。

2)個別指導の現状と展望についての考察

※ ここでは「対話式学習館ホームズ」の説明を横にのけて、これまでの「個別指導塾」の問題点や現状の分析と、これからのより良い「個別指導塾」のあり方のための考察に照準を合わせてお話していきます。 ただの業界批判ではなく、信じて子どもを預けていただいている皆様の気持ちに少しでも応えられるような塾がひとつでも増えることを心から願って綴らせていただきます。

※ 学生時代からこれまでに見聞きしたこと、考えたこと、提案したいこと等、さまざまな部分で主観的な表現も多々あり、もしも不快な気持ちを起こさせてしまった場合には、本当に申し訳ありません、と先に申し上げておきます。

■ 個別指導のさまざまな形式について

個別指導という授業形態が浸透してきて、それなりに長い年月が過ぎた今、集団授業でずっと実績をあげてきた大手の塾にも個別指導部門が創設され、21世紀に入ってからの塾のスタンダードだと言われるようになってきました。ただ、ひとことで個別指導と言っても形式はさまざま。まずはそのあたりの情報の整理をしておきます。

[1] 1対1での完全個別指導

この形式でやっている塾は非常に少数であるか、授業料がかなり割高になっていると思います。熱心な先生の場合だと生徒に対して教えすぎたり、生徒の依存心が強い場合だと先生に頼りすぎたりで、問題は進むものの、自力で解く力は身につきにくい、という難しさもあります。もしも現在、1対1での授業を受けられているのでしたら、先生と生徒との距離感が適切であるかどうか、一度チェックしてみてください。

[2] 1対2での個別指導

現在の個別指導の授業形式の主流となっているのがこの形で、生徒の自立と面倒見の良さを両立させた形といえます。 この形式でも、大きく2つの授業のやり方に分かれています。

①講師主導型

先生が講義を進めていき、生徒は説明を聞きながら板書する形です。講師の多くは大学生で、ひとりひとりの講師に満足のいく研修体制を充実させられていない塾も少なくありません。一歩間違えると、集団授業よりも講師の指導力が低い上に、講師の自己満足で授業だけが進んでしまい力がつかない、なんてことも珍しい話ではなかったりします。 まずはお子様のノートをご覧になって、正常に授業が進んでいるかの確認と、演習や宿題の精度を確認してみて、お子様が本当に理解できているかチェックしてみてください。

②生徒主導型

生徒の演習を中心に授業が進んでいく形です。基本的には自学自習の進めやすい教材を用いて、学校などで既習の範囲を前から順番に進めていき、生徒自身が分からないと主張したり、答え合わせの際に間違えるまで、ただひたすらに演習が続いていく形式です。塾の日に「どれだけ問題が進んだか?」でなく、「どれだけ理解できたのか?」に注目してノートを見てみると、お子様にその形式が本当に合っているのかの判断基準になると思います。

[3] 1対3~それ以上

学年・学校・科目・生徒の学力レベルの全てが揃っていれば、効率良く授業も進めることができ、先生の目も行き届きやすい形です。しかし、上記のどれかひとつでも揃っていなければ、どこかに歪みが生じてしまいます。おしゃべりが大好きな子がいたり、周りよりも理解の速度がゆっくりだったり、誰か1人がペースを乱してしまうと、ズルズルといきやすい形とも言えます。もしも、複数名がバラバラの内容で学習を進める形だと、先生から「ちょっと待ってな」と言われている回数が多いかもしれません。点数などがなかなか上がらないようでしたら、お通いの塾へ相談してみるのもひとつかもしれません。

■ 現状をもう少し多角的に掘り下げると…?

「個別指導」といって授業を行う塾でしたら、「一人一人に合わせて」という文言が広告やホームページなど随所で目に付くと思いますが、本当にそれは実現されているのでしょうか? 自身の見解で申し上げますと、本当に実現されていて、なおかつ成績を伸ばしきる仕組みがしっかりできている個別指導塾は全国のどこにも存在していなかったように思います。

まずはその原因について分析してみます。

[1] マネージャーが教育を理解していない!?

もしかすると驚かれることかもしれませんが、多くの学習塾における個別指導担当の正社員スタッフは、教務経験を持っていない人が過半数です。教育産業以外からの異業種転職も多く、おまけに部門内の会議や研修も、教務に関する話よりも圧倒的に営業トークやクレームへの対応などに充てられる時間の方が多いのが現実です。 塾で預かることになった子ども達がどんな背景を持っていて、どんなことは得意で、どんなことは苦手で、どうしていけばその子が生き生きと学んでいくのか、そのようなビジョンがないままに営業用トークがなされている場合が多いというのが現実です。なので、子ども達が伸びるかどうかは現場の大学生講師の力量に任せざるを得ないのです。

[2] 大学生講師の裁量に全てが委ねられる!?

はじめに申し上げておきますと、大学生講師の全てが良くないというわけではありませんが、「本当に立派な講師」である人は、ごくひと握りです。 たとえば、「子ども達と同じ目線で伝えてあげたい」と言っている先生が「相手に理解しやすいように噛み砕いて伝える」という意識を持っている可能性よりも「友達感覚で楽しくお話ができる」と考えている可能性の方が圧倒的に高いですし、「先生自身は解ける」「先生自身はこうやって成功した」ということを伝えることはできますが、目の前の生徒に同じ方法が通用して、それで伸びるかというと別問題だったりします。

[3] 生徒ひとりひとりの評価は数値化されて管理される!?

個別指導塾における生徒ひとりひとりの状況や情報の把握に関しては、以下のどれかの場合が圧倒的に多いです。

① 実は普段は全然みていなくて、懇談の前にだけ担当講師から軽く情報を聞いて話をつくる。

② 「把握する仕組み」を作ってはいるが形骸化している、もしくは講師は記録するがマネージャーは見ていない。

③ 得点と5段階評価などで管理していて、良くない状態の場合のみにアンテナが張られている。

[4] 管理しきれないから「レールに乗せる」!?

個別指導塾の中で、有名で規模がどんどん大きくなっていっているところの多くは、以下のような結論を出しているように感じられます。

「マネージャーも講師も生徒も保護者も、みんなそれぞれ。だから、個々に合わせるのは不可能だ。」

だから合わせるのではなく、「合わせさせる仕組みのレール」に乗せれば良い。

この方法にしたがえば(定期テストの)点数は伸びる。

どんなマネージャーでも運営が(表面上)できる。

どんな講師であっても(それなりに)授業が成立する。

 

…子ども達を伸ばしきることのできる可能性がいちばん高い、個別指導という教育形態において、上記のような妥協の産物が、世の中のスタンダードとなろうとしていることが、本当に悔しくてたまらない、と私自身ほんとうに心の底から考え続けてきました。

だからこそ、下積みをしっかりしてから塾を自分で設立して、業界のスタンダードを提案・発信する側に立つ。

その想いの結晶として設立したのが、われわれ「対話式学習館ホームズ」です。

4)どうして多くの学習塾は依存心を助長させてしまうのか?

■ 「点数を取ること」はあくまでも通過点

定期テストの点数を上げる「だけ」なら簡単です。

恐怖心を煽って、ひとつの単元に対して10種類くらいのプリントやワークを解かせて、満点が取れるまで何度も何度もやり直しをさせるうちに、嫌でも覚えてしまう。そうして集中的に頭に入れた内容をテスト開始の合図とともに、猛スピードで答案用紙に書きなぐる。練習段階で満点になるまでひたすらに解かせるので、本番では悪くても90点くらいの点数は取れます。

そして、そのレールに乗れない子どもは罵倒されるか、見捨てられるか。居心地が悪くなって退塾を決意する、もしくは同グループ内の個別指導部門へ行くように勧められる。

「責任を持って預かる」と入塾時に良い顔をして預かった子ども達とその両親の期待を踏みにじるような行いをしている塾が少なくないのは、業界の悲しい現実だと思います。

始めの話に戻りますが、定期テストの点数を上げる「だけ」なら簡単です。

有限の出題範囲で行われるテストに対して、それだけの量を詰め込めば、実現しますから。

実力に見合っていない点数を「取らされて」本来もっている能力よりも圧倒的に高い子ども達が周りに大勢いる高校へ進学するのは、ただの悲劇でしかないのです。

必死に何度も何度も、誰かに与えられた課題を受け身でこなしているうちに取れていた点数が自分の実力だという勘違いは、入学してすぐに見事に打ち砕かれてしまいます。周囲にとっては一発で理解できる内容も、自分にとっては何度もやらないと身につかないし、科目も増えて当然そんな時間は確保できなくなってしまいます。

こういう事例を私は「進学塾の被害者」だとしか思えません。

「レベルの高い集団の中で互いに刺激しあって君も成長するんだよ」という感じに、合格実績を欲しがる塾の先生からはチャレンジを促されるものの、進学後にうまくいっている生徒は少数派。

「高校に入ると量・質ともに大変になるから高校でも塾に通おう」と言えば一石二鳥でしょうか。

 

■ 「中学と高校はやり方が違う!?」という神話

「このワークさえやれば良い」

「このプリントを決められたやり方でやれば点数が取れる」

子ども達は、塾の先生のその言葉を頑なに信じて、やる。

やるから点数は取れる。

塾がすごい。先生がすごい。自分もすごい。

 

このプロセスの中に、子ども達が「何が大切か?」を考える余地はありません。

近道を知っているから使う、ただそれだけ。

「他人に動かされている」と気付くこともないままに高校受験の時期を迎えてしまいます。

 

しかし、ある日、塾の先生が手のひらを返す日を迎える。

「今までの君たちのやり方は、高校では通用しない。だから予備校へ行かなければならない。」

塾業界のスタッフの一大イベント「高1継続活動」です。

 

どうして、量・質ともに少ない中学校のうちに近道を教えてしまって、考える力を育てる機会をなくしてしまうのでしょうか?

どうして、依存することしかできない体質を作り上げて、高校生になっても無理に塾へ通わせようとするのでしょうか?

どうして、「高校でも通用する勉強スタイルを作ってから中学を卒業させてあげたい」という使命感を持って指導を行なっている学習塾が少ないのでしょうか?

中学3年生までの指導を専門にしている学習塾のスタッフには、無責任な人が多すぎるような気がしてなりません。

 

■ 「点数をとる」以上に学習してほしいこと

中学の3年間で習得するべき知識量は、それほど多くありません。

期間や範囲が区切られて、定期テストがやってくるので、一度にやらなければならない量も、それほど多くありません。

高校受験がゴールではないので、この時点で身につけておくべき能力は以下のものが考えられます。

・努力と結果の因果関係を知ること。

・何が必要であるかを考えて実行し、後に検証すること。

・現状に満足せずに、効率化や高速化など「もっと上」を目指す姿勢。

 

テストの点数は「取らせてあげる」という発想で大人が手を加えると、大切な成長の機会が損なわれてしまいます。

産業構造や経済情勢もどんどん変化していく世の中を子ども達は生き抜いていかなければならないので、これからの中学生の教育に本当に必要なのは、「エサのラクな取り方」を教えてやるのではなく、「エサを取りにくい時にも、諦めずに工夫し続ける姿勢」を教えてやりたいものです。

「代わりにエサを取ってやる」ような、ひと昔前の家庭教師や、個別指導塾ができた当初に多くの学生講師たちが行なっていた教育姿勢は収束に向かいましたが、もうひとつ先のシフトチェンジが教育業界全体に求められると思います。

 

■ 「依存」の2つの形成要因

子どもの依存心が増長されてしまう要因は、ここまででお話してきた、集団指導の進学塾で行われてきたプロセスもありますが、個別指導塾の現場では、もっと起こっているのも否めません。

教えすぎる、助けすぎることが一番の原因ではないかと思いますが、もっともタチが悪いのは、講師たちの善悪の基準が不明確なことです。

「大学生」という肩書きを持っていれば、どんな人でも「塾の先生」になることができてしまう時代です。

しかも、ほとんど丸投げの状態で日々の指導が行われているので、点数が取れているかの数値管理以外の方法で、指導の状況が見直されることはごく稀なことです。

社員スタッフはビジネスとしての教育に熱中して、上司から言われる「数字」を追い続けさせられる管理体制です。

人は誰だって嫌われたくないので、かなり意識の高い講師でない限り、目の前の子ども達を甘やかしてしまう、見逃してしまう。

「子ども」が子どもを教育している世の中に疑問すら感じてしまいます。

ただ、この形での依存があれば、個別指導で圧倒的な成果を上げるのは困難なので、神がかったものに囚われたかのような、「自信つきの依存」にまでは発展しない場合の方が多いです。

 

■ 「自信つきの依存」がいちばん大変

本当は自分では考えられないのに、点数の取り方を知っているから、「表向きの結果」は出てきて、「受験にも勝ててしまう」のは本当に恐ろしいことだと思います。

12~18歳の、心の成長スピードが最も速い時期に「これで大丈夫だ」と信じ込んでしまうと、大人になってからの修正も難しそうです。

 

このように見ていくと、本当に実力どおりの進学先を選んでもらいたいものだと思います。

そして、「覚えるくらいやったから解ける」のではなく、「本当に実力を伸ばす塾」が世の中に増えてほしいと心から思います。

そのためにも、私たち「対話式学習館ホームズ」が全国から注目され、様々な形で全国の学習塾に影響を与えていける側に立てるように、日々努力してまいります。

1)反復学習の根拠とリスクに迫る

■ 反復学習の根拠とは?

19世紀にドイツの心理学者ヘルマン・エビングハウス氏が発表した「忘却曲線」を根拠にした教育方針は、現在では多くの教育機関で提案されており、反復学習推進派の最大の根拠のうちのひとつだと言われています。

教育関連の記事などで、「一生懸命に学習したことが、翌日には記憶の4分の1しか残っていない」という恐ろしい記述を度々目にしますが、これは解釈の誤りです。

正確な解釈は、「互いに関連のない物事の羅列を、1日後に復習すれば4分の3程度の労力で済む」とでも言いましょうか。 「復習の効率は1日後でも1ヶ月後でも、さほど変わらない」ということが、エビングハウス氏の実験結果だと言えます。

どんなに嫌でたまらない、無意味な文字の羅列でも、5回10回と鍛錬を繰り返せば、定着するというのは正しいかもしれませんが、多くの人は途中で心が折れてしまうでしょう。

もうひとつの根拠として挙げられるのは、武士の時代よりも前から我が国に染み付いている「基礎の鍛錬の美学」が教育にも取り入れられていることです。 勉強が、強くなるための苦しくて険しい修行であれば、誰もが歯を食いしばって頑張り続けるしかないですが、他にも楽しいことが多くある学生生活の中で、そこに喜びを見出して続けられる人を探す方がずっと難しいのかもしれません。

「関連付け」の工夫次第でいくらでも変わる、「嫌々な気持ち」に変化を起こせばいくらでも変わるetc 「反復するしかないよ」というよりも、もっと子ども達の心に届く勉強のやり方がないはずがありません。

 

■ 反復学習のリスクは?

「反復学習=唯一の学習方法」となってしまうことのリスクについて見てみましょう。

1)ひとつひとつの作業行程に時間がかかりすぎてしまう。

「単語や漢字を覚えるのがすごく苦手」という高校生に話を聞いてみると、小学校低学年や中学1年生の頃に「何度も書いて覚えよう」という方針が上書きされていない場合が圧倒的に多かったりします。 学年が進み、一度に覚えなければならない量も増えていく中で、反復を続けていくのは困難です。

2)「勉強」ではなく「作業」になりがち。

「覚える」ことが目的であるはずなのに、気がつけば「書く」ことが目的になってしまっている子ども達をよく見かけます。 小学生ならまだしも、大学受験を迎える頃になっても、その習慣が抜けていないのはたいへん危険です。 その「作業」が好きならまだ良いですが、嫌いになってしまうと、学ぶこと自体を否定してしまいかねません。

3)「工夫」のできない大人になってしまう可能性が上がる

「良問を繰り返し解いて、解法を身につける」という学習方法は、定期テストや入試などの目先のテストに向けての学習としては、最短距離で結果だけを出すには適している方法だと言えます。 しかし、最も恐ろしいのは「実力(≒本人の処理能力)以上に得点が取れてしまうこと」だったりします。

数ある情報の中から「何が大切で、何が大切でないのか?」を考える習慣を、「模範解答」の存在する10代のうちに検証する機会を多く与えたいものです。

 

■ 実感が伴えば反復は不要になる!

無意味な語句の羅列ではなく、学習は関連性もあり、奥深さもあり、将来にもつながる、非常に興味深いものです。

・新しく触れるものごとに、興味を持たせる導入を徹底する。

・ルールを一方的に伝えるのでなく、適切にヒントを出して自分で発見させる。

・まとまった演繹的な理論でなく、多くの実例に触れ、帰納的な視点でものごとに向き合う。

 

そういった教育をしていくことで、激動の時代を担っていく若者たちに必要な力を身につけさせてあげたいと考えています。

「脱・一流宣言」 ~ホームズ開校にかける想い~

■ はじめに

2013年5月1日、佐井寺中学校・片山中学校・第二中学校の校区を中心に、「脱・一流宣言」と題した、やや攻撃的なチラシを新聞折込で配布いたしました。

塾業界に対する批判をしたいというわけではなくて、自身の勤務経験というよりは、就職活動を行なっていた時期や、多くの塾・予備校のチラシや資料などで描かれている「塾のあり方」に対するモヤモヤした気持ちがありました。

経営上、管理上、実現可能性etc さまざまな理由から来ている妥協が見え隠れする方針に真正面からアタックしてみる塾があっても良いのではないか?

そういう視点から描いております。

もしも、塾の関係者の方がご覧になって、「あてつけ」や「批判」のように映ってしまったのでしたら、僕らを攻撃するのではなく、一度冷静にご自身を振り返っていただきたいと心の底から思っております。

開校したばかりの小さな個別指導塾に意識を向けるよりも、ご自身の校舎に通われている多くのお子様と、これから未来を預かろうとする地域の子ども達に対して、「誠意に満ちあふれた、真心での指導」に、より一層の磨きをかけていただけましたら、これ以上の喜びはありません。

 

■  [ 脱・一流 ] 宣言! ~チラシの文言より~

私たち塾業界では、「一流」の指導方法として、 「一様」に同じ教え方を繰り返してきました。 「一貫」した姿勢で、「一斉」に導いてきました。 そして、「一方的」に伝え、「一時的」に詰め込み、 「一通り」だけのやり方を押し付けて、 あたかも、その「一本」の道しかないような錯覚を起こさせて、 子ども達が受け身で学んでしまうような指導をして参りました。

数々の過ちを反省し、これからは次のように改めます。

1) やみくもに反復するだけが能の子どもに育てません。

2) 「一人一人に合わせて」と言いつつ、あらかじめ用意している「仕組み」を売りつけません。

3) 自分の部屋の、自分の机で勉強できない子にしません。

4) いつまでも塾に通わせる必要のあるような、勉強に対して自立することができないような指導をしません。

5) 出身大学名で講師の指導力の低さをごまかしません。

6) やり方を覚え、なぞらせるだけの授業をしません。

7) 数値操作したグラフや表で錯覚を起こさせたりして、詐欺まがいの過大告知はしません。

8) 一部の生徒だけを取り上げて、全員がうまくいくかのような「実績のごまかし」は行いません。

9) 塾が敷いたレールに乗るのが難しい子どもを「問題児」と陰で言い、乱暴な態度で接したりしません。

10) 過去問がないと、何を勉強したら良いかも考えられないような学生に育てません。

 

■ ホームズの誓い

私たちは開校にあたり、以下のことを誓います。

● ひとり残らず全員の成功体験の演出に命がけで取り組みます。

● 学ぶことに対して前向きな気持ちで自立して以後の人生を歩めるよう育てます。

● あふれる情報の中から、最も良いものを主体的に選択できる判断力を養います。