■ 大学進学後に与える影響
はじめに申し上げておきますと、人生のゴールが大学受験や高校受験であるならば、塾や予備校の自習室で思い切り集中して頑張れば良いと思います。
しかし、大切なのはむしろその後。大学進学後、就職活動、資格試験、就職してからの日々の中で、「自習室」のような環境が用意されている例の方が稀です。
大学のテスト前、近くのファミリーレストランで数人で集まって勉強する学生たちの様子をみて、どう考えても勉強がはかどっているわけがないというのは、安易に想像がつくことです。
また、企業に就職した後などでも、「自分のデスクでは仕事に集中できない」と口にする若者は少なくありません。
こういった習慣は、中学・高校生時代の勉強する環境のつくり方に影響があるのではないかと考えています。
■ 集中できない理由が「他人のせい」になる!?
家で集中できない理由を中高生にたずねてみると、非常に高い確率で「家族がうるさい」「布団で横になってしまう」という返答が返ってきます。
でも、そのように言う学生は多くの場合、「家族が静かでも家ではやらない」「図書館や塾の自習室などでやっていても居眠りしてしまっている」といった感じなのではないでしょうか?
塾や予備校などの自習室で、居眠りしている生徒に対して、徹底的に叩き起こすような体制をとれているところは、もしかするとないのかもしれない、というぐらいに少ないです。大学生のチューターが同情して声をかけるのを躊躇したり、一度起こしても再び居眠りを始める学生に粘り強くアタックできる可能性の方がずっと低いですから。
本当は弱いのが自分なのに、家族や他のもののせいにして、自らの意志の弱さから目をそらそうとしている可能性が圧倒的に高いのだと思います。
部屋でついついケータイを触ってしまったり、手を伸ばせば届く場所にある漫画などを読んでしまったり、映像授業の予備校などではPCで勉強と関係のないページへアクセスしていたり、生徒本人に原因があります。
自習室がないと勉強できない、という学生は、自習室があってもさほど集中できていない、もしくは「自習室が●●だったから今日は集中できない」と、次々に「他の何かのせい」にしながら、勉強から逃げているだけなのではないでしょうか?
■ 「あの先生、教えるの下手」という発言の裏側
アルバイトの大学生などに、「大学の様子はどう?」などと話しかけると、ほとんどの学生は、「●●という科目の先生が教えるのが下手で…」と答えます。自ら選択を行い、履修している科目=興味のある分野において、このような言葉を耳にすると、違和感を覚えずにはいられません。
確かに大学で講義を行っている先生の多くは、研究の傍らで講義をしているので、「どうすれば学生たちが興味を持つか?」ということにまで目を向けてない場合が多いです。
しかしながら、自らが興味を持っている内容に対して、教える人が上手なのか下手なのか、というだけで「やる・やらない」を決定してしまうのは、やはりおかしいのではないでしょうか。
「何かを教わる」という前提でなくて、「その道を真っ直ぐに生きるオジサンのお話」と思って話を聞いてみると、すごく興味深く面白い話ばかりなのですが、「単位をとり、卒業するためだけに大学へ通っている」という学生にとっては不要なのかもしれません。
中学や高校の授業でも、「学校の先生のせいで嫌いになった」というのが減れば、社会は急速に良い方向へ変わっていくのではないかと思ったりもします。
■ 最も大切なのは、「環境を変える力」だが…?
世界情勢・経済の動向・資源問題・環境問題など、様々な面からみて、今まで私たちが「当たり前」と考えていたことが刻一刻と変化している世の中です。
さらに変化が大きくなるであろう、今後の社会に生きていく子ども達には、「郷に入っては郷に従う」ような環境適応能力よりも、環境を変えていく力が必要になってくると言われます。
とはいえ、環境に対して文句を言いながら、自らはさほど努力をしない若者が増えてきているのも事実です。
まずは環境に合わせて自分を好転させていく力を子ども達に身につけてもらい、その後に、自分だけでなく周囲をも好転させるだけの影響力を持たせてあげたいと思います。