1)反復学習の根拠とリスクに迫る

■ 反復学習の根拠とは?

19世紀にドイツの心理学者ヘルマン・エビングハウス氏が発表した「忘却曲線」を根拠にした教育方針は、現在では多くの教育機関で提案されており、反復学習推進派の最大の根拠のうちのひとつだと言われています。

教育関連の記事などで、「一生懸命に学習したことが、翌日には記憶の4分の1しか残っていない」という恐ろしい記述を度々目にしますが、これは解釈の誤りです。

正確な解釈は、「互いに関連のない物事の羅列を、1日後に復習すれば4分の3程度の労力で済む」とでも言いましょうか。 「復習の効率は1日後でも1ヶ月後でも、さほど変わらない」ということが、エビングハウス氏の実験結果だと言えます。

どんなに嫌でたまらない、無意味な文字の羅列でも、5回10回と鍛錬を繰り返せば、定着するというのは正しいかもしれませんが、多くの人は途中で心が折れてしまうでしょう。

もうひとつの根拠として挙げられるのは、武士の時代よりも前から我が国に染み付いている「基礎の鍛錬の美学」が教育にも取り入れられていることです。 勉強が、強くなるための苦しくて険しい修行であれば、誰もが歯を食いしばって頑張り続けるしかないですが、他にも楽しいことが多くある学生生活の中で、そこに喜びを見出して続けられる人を探す方がずっと難しいのかもしれません。

「関連付け」の工夫次第でいくらでも変わる、「嫌々な気持ち」に変化を起こせばいくらでも変わるetc 「反復するしかないよ」というよりも、もっと子ども達の心に届く勉強のやり方がないはずがありません。

 

■ 反復学習のリスクは?

「反復学習=唯一の学習方法」となってしまうことのリスクについて見てみましょう。

1)ひとつひとつの作業行程に時間がかかりすぎてしまう。

「単語や漢字を覚えるのがすごく苦手」という高校生に話を聞いてみると、小学校低学年や中学1年生の頃に「何度も書いて覚えよう」という方針が上書きされていない場合が圧倒的に多かったりします。 学年が進み、一度に覚えなければならない量も増えていく中で、反復を続けていくのは困難です。

2)「勉強」ではなく「作業」になりがち。

「覚える」ことが目的であるはずなのに、気がつけば「書く」ことが目的になってしまっている子ども達をよく見かけます。 小学生ならまだしも、大学受験を迎える頃になっても、その習慣が抜けていないのはたいへん危険です。 その「作業」が好きならまだ良いですが、嫌いになってしまうと、学ぶこと自体を否定してしまいかねません。

3)「工夫」のできない大人になってしまう可能性が上がる

「良問を繰り返し解いて、解法を身につける」という学習方法は、定期テストや入試などの目先のテストに向けての学習としては、最短距離で結果だけを出すには適している方法だと言えます。 しかし、最も恐ろしいのは「実力(≒本人の処理能力)以上に得点が取れてしまうこと」だったりします。

数ある情報の中から「何が大切で、何が大切でないのか?」を考える習慣を、「模範解答」の存在する10代のうちに検証する機会を多く与えたいものです。

 

■ 実感が伴えば反復は不要になる!

無意味な語句の羅列ではなく、学習は関連性もあり、奥深さもあり、将来にもつながる、非常に興味深いものです。

・新しく触れるものごとに、興味を持たせる導入を徹底する。

・ルールを一方的に伝えるのでなく、適切にヒントを出して自分で発見させる。

・まとまった演繹的な理論でなく、多くの実例に触れ、帰納的な視点でものごとに向き合う。

 

そういった教育をしていくことで、激動の時代を担っていく若者たちに必要な力を身につけさせてあげたいと考えています。