定期テスト対策から、難関国公立大受験まで!吹田市佐井寺中・片山中・第二中エリアの個別指導は対話式学習館ホームズ!

専任講師紹介STAFF

ホームズの社会人専任講師です。
学生時代から、学習塾業界に飛び込むまで、その後どんな思いで塾業界を生き抜いてきたか。
その半生をご紹介します。

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数学・理科・英語担当 対話式学習館ホームズ 代表

学生時代

小学生の頃から、やり始めたらトコトンやりこまないと気が済まない性格だった。
ゲームをやれば常識では考えられない遊び方 に美学を感じ、学校のテストでは5教科500点満点、9教科900点満点を狙うべく、計画→実行→検証をストイックに繰り返していた。

当時の将来の夢では、3つの夢を恥ずかしげもなく大々的に掲げていた。
【①ノーベル賞を取る ②オリンピックで金メダルを取る ③音楽チャートで首位を取る】
現在、①~③のいずれも叶っていないが、大きな夢を持ってワクワクしながら企てること、それによって、成長スピードが加速されるということを身を持って体感。

国語以外はセンター試験98%の得点率を取るも、国語で過去最低点。
第二志望の大学で歩み始めた大学生活。航空宇宙工学を専攻し、航空機のメカニズムとジェットエンジンの研究に魅せられる。
それと同時に、学生のうちにしかできないことを思いつく限り全てやってやろうと精力的に生きる。

"痛みを知っているヤツだけが本当に優しくなれる"
中学時代に出会ったこの言葉は、今も信念として生き続けている。

大学生講師時代

初めに勤務したのは、大阪南部の集団指導の大手進学塾。講師が不足していたのは、最も苦手だった国語科だった。

「教える自分が一番楽しめる、常識を超えた授業をしよう」

その思いで臨んだ授業は生徒に大人気。最下位クラス、最上位クラスとともに、成績急上昇。
当時の塾長を遥に凌ぐ成績アップ率・講師支持率を成し遂げる。

しかし、集団指導の大手進学塾のたいせつなことに疑問を感じ始め、年度末の切りのいいタイミングで退職。

集団指導の限界を直面した後、個別指導の業界へ足を踏み入れる。

個別指導の本部教室で、講師と校舎リーダーを兼任。
「自分の良いと思うもの」を子どもに押し付けるだけでは不十分。
ここからのチャレンジは、「本当に一人ひとりに適切な教育を提供すること」

「勉強ができない」原因は、単なる『以前の内容が理解できていない』などのものではなく、家庭環境や友人関係などの【こころの状態】が大きな影響を与えていたことを知る。
担当生徒ひとりひとりの内面と向き合い、家庭における学習方法の打開策も日々考え実践。
この頃に出会った「NLP心理学」と「コーチング理論」および、数々の実践経験と検証結果が現在の教育理念の根幹となっている。

阪神地区で有力な予備校・個別指導併設の塾で勤務していた時代

個別指導の教室運営をしていく上で、大学生講師の教育は最重要項目。
講師たちがバイト感覚ではなく、本気で教育に魅力を感じ、のめり込んでいくためには、子ども達の教育と同じく、【コミュニケーション】と【成功イメージ】の2つに集約されるのだと気がつく。
同時に、教室の運営統括をしている自分の思いが学生講師たちに波及し、学生講師たちの思いが直接授業で教える子ども達に波及していく実感をおぼえる。

自分自身は、予備校部門で挑戦の日々。
クラス指導や10名未満のグループ指導を通じて、高校生の心理状態や発達段階、夢や目標に対する気持ちの大切さ、努力を持続できない人の弱さ、ひとりひとりの状況を踏まえて、目標まで計画を立てて実行するアプローチを取る。
その中で、高校受験時代の学習習慣によっては、高校の学習に悪影響を及ぼしている事実を目の当たりにする。

中下位の高校から「国公立や関関同立へ進学したい」という思いや、上位校のいわゆる[落ちこぼれ]の生徒たちのチャレンジ精神やリベンジ精神を、実現する方向への指導にも特に尽力。
目標からの逆算スケジュールの考え方と、達成度の自己チェック方法の明確化、習得スピード向上のための効果的な復習の仕方など、様々な方法で逆転合格をプロデュース。

2013年の春、数々の実践経験と検証結果を引っさげて、独立。
【対話式学習館ホームズ】が吹田市に誕生しました。

英語・国語・社会担当 対話式学習館ホームズ チーフ

学生時代

市内有数の「荒れた」学校で過ごした中学時代。
授業妨害やいじめが頻発する中、正義感が爆発。不登校の生徒に対するクラスメイトの態度に正面から啖呵を切って衝突。

このことをきっかけに、今までいじめの被害に遭っていた子たちと一緒に過ごす時間が多くなる。
その後しばらく「荒らす側」の生徒に対して嫌悪感や敵対心を抱いて過ごしていたが、中3を前に、突如【人を嫌うのをやめてみよう】と思い立つ。
意識的に人の良いところに目をやるようにすると、今までより自分の元に集まる人や目線が、今までとは比べ物にならないくらい温かいものになることに気付く。

『人のいいところを見ると、人は自分のいいところを見てくれる。
自分が見ているように、人は自分を見ている』

15歳の自分が学んだことは、大人になった今でも自身の根幹を支えている。

当時の担任や、塾の講師の影響もあり、次第に教える仕事に興味を持ち始める。
初めは教育大を目指していたが、それ以上に英語や言語学といった分野への興味が増し、文学部英文科へ進学。同時に教員課程も履修し、中学英語・高校英語の教員免許を取得。
今まで「そういうものだから」と割り切って覚えた表現の理屈を大学で次々と知り、以降自分の授業へ活かされていく。

大学生講師時代

大学入学と同時に、出身塾である阪神地区の大手総合塾の個別指導部門で、講師のアルバイトを始める。
また、1回生の冬に、新規校舎の旗揚げスタッフに抜擢。以降、新校舎のアルバイトリーダーとして後輩育成や校舎運営に携わっていく。

講師を始めた当初は「優しい先生」を目指していたが、他のスタッフや学校ボランティアに参加するうちに、徐々に価値観が変化していく。
“自分が一番に考えなければならないのは、保身ではなく、生徒の成長”
以来、「生徒のためには何がベストなのか」を考えて、時には褒め、時には厳しい言葉をかけながら指導にあたるようになる。

4回生の春に、校舎が新しくなり、大きく環境が変わる。その時に統括社員として配属されてきたのが、後の仲間となる川崎だった。
彼の型破りの理論と熱意に魅かれ、積極的に彼の思いを拡散するようになる。
校舎全体が「生徒のことを一番に考え、全力を尽くす」をモットーに、川崎を中心として一つになっていくのを肌で感じていた。

また、講師の控室は生徒に関しての意見を交換できる場であってほしいと考え、授業後にも積極的に生徒の話題を持ちかけ、校舎全体で生徒を見るという雰囲気作りを心掛けた。

教員養成課程の集大成である教育実習で得たことは徹底することの大切さと、自分の適性だった。実習を終えて湧き上がった「学校の先生に向いていないのかもしれない」という思いと折り合いがつかない日々が続いたが、葛藤の末、教員採用試験の結果を待たずに塾講師の道を歩む決心をする。

神戸の大手塾で集団指導講師をしていた時代

生徒を第一に考え、人間的な成長に重きを置く社風に魅かれ、神戸の総合塾に入社。
集団指導部門と個別指導部門と、共に興味があったが、人事部の強い勧めで集団指導部門(小中学部)に所属することに。
勤務している間に、下は小学1年生から、上は中学3年生までの全学年を指導。
多い年には、1週間で6つの校舎を回りながら、校舎ごとの特色の違い、講師それぞれが持っている教育理念に触れていく。

上位クラスはベテランが担当するため、若手講師が担当するのは、ほとんどが下位クラス。
以前の内容もおそらく固まりきっていないであろう生徒たちと、進まなくてはいけないカリキュラムとの狭間で悩む日々が続く。
自分が本当に手を差し伸べたかったはずの生徒たちを前にして、彼らを置き去りにしてでも、授業を進めなければいけないという現状や、勉強の仕方を分かっていない生徒に「ちゃんと勉強しろ!」と叱責する先輩講師の様子に疑問を抱き始める。
時にはオリジナル教材で授業をしたり、個別に補習をしていくうちに、集団指導の限界と、もう一度「個別指導」という形で、一人ひとりに合った指導をしたいという気持ちが強く膨らんでいく。

就職後もつながりのあった川崎の独立に誘われ、退職を決断。
以降、対話式学習館ホームズで、学習指導、講師育成、広報などを担当する。

数学・理科・英語担当 対話式学習館ホームズ マネージャー

学生時代

本と辞書を読んで過ごした小学時代。
図書館の分厚い物語本がお気に入りで、特に好きだったのが「二年間の休暇(十五少年漂流記)」、明智小五郎・少年探偵団シリーズ、アルセーヌルパンシリーズ。
更なる活字を求めて、国語辞典は常に机の上に常備。授業がつまらなくなると算数の授業中にまで読み始める始末。
また、毎日活字が供給されていることを発見して、新聞を読み始める。

4年生の時に、中学受験の塾に通い始める。
算数との戦いの日々だったが、得意な社会・国語のおかげで本命校に合格。

私立ということもあって、住んでいる場所や経歴も様々であった。
ここで人の多様性と関心の幅を知り、それを尊重し、自分も興味を持つことを学ぶ。
相変わらず数学は苦手なままだったが「数学ができないから文系」という運命に逆らいたくて理系の道を歩む。

大学時代

理系の大学に入学。
日本国内を旅行して回る中で、北海道の雄大な景色に魅了される。ただ、同時に各地の過疎を目の当たりにし、地方社会の問題に興味を持つ。
コンビニと、配送、倉庫、棚卸など物流系のアルバイトをする中で、常に効率を求めた動き方を重視するようになる。
情報系の学部だったため、ここでも数学が足を引っ張り、徐々に熱意が保てなくなる一方で、経済学に興味を持ち始める。
現在の大学を見限り、再び大学受験をし、別の大学の経済学部に入学する。
この時に、人間には適性が存在し、適正に沿ったものには自身の才能が活かされやすいことを知る。
短所をつぶすより、長所を伸ばすほうが容易であり、それが良いと結論付けることになった。

大学講師時代~現在

教育に興味がわき、2つ目の大学のすぐそばにあった個別指導塾の講師を始める。
そこで出会ったのが、若き日の川崎だった。
塾の講師は面白い反面、伝えることの難しさに直面するものであった。
どうすれば生徒に「分かった!」と思ってもらえるのか、川崎や他のスタッフと悩む日々。
その後、シェアハウスで出会ったアーティストと共にフリーペーパーを制作したり、コンビニの店長の職についたりしながら、5年間の大学時代を過ごす。
(塾では一部の生徒から「店長」と呼ばれている)

そして大学卒業後、かつての仲間であった川崎に誘われ、現在は対話式学習館ホームズのスタッフとなる。

数学・理科・社会担当 対話式学習館ホームズ マネージャー

学生時代

運動が大好きで、スポーツに明け暮れる日々を送る。
夢中になりすぎてチャイムが聞こえず、先生に怒られることもしばしば…

小学校時代、クラスの仲間と少しでも遊ぶ時間を確保しようと、立てた作戦は「朝6時に学校集合!」
厳しくも優しい顧問の元、野球部で充実した中学3年間を過ごしつつ、勉強も両立させ、地域名門高校の特進コースへ進学。数学や化学は順調だったが、物理で足を引っ張られる。
予備校に通っても克服できなかったが、ある日本屋で出会った1冊の本がきっかけで、閉ざされていた視界が広がる経験をする。教わるばかりではなく、自分で情報を取りに行く大切さをこの時に学ぶ。
週6日、夜8時まで授業があるという勉強漬けの毎日のなかで、着実に力を付けていく。

大学時代~その後

大阪市内の大学で、情報系の学部に進学。学業の傍ら、大学生協の学生委員会に参加し、生協の一員として、生協の運営や会報誌の作成を行う。
また、自宅近くのコンビニエンスストアで、創立当初からスタッフとして勤務。勤務期間が長くなるにつれて、新人育成を任されることも多くなる。
勤務が浅いスタッフには、とにかく長く務めてもらえるように仕事のコツを伝授することもあれば、敢えて最初からすべては教えず、適切なタイミングに適切な仕事量をこなせるような指導をするなど、様々な方法で人材育成を試みる。
奇しくもそのコンビニは、川﨑や加藤が日常的に使う店舗。他愛もない話をしながら、2人と交流を深めるうちに、徐々に教育業界への興味が湧き始める。

塾講師時代~現在

川崎や加藤に誘われる形で、対話式学習館ホームズでのアルバイトを開始。
今まで持っていた、勉強に対する厳しく辛いイメージとは180度違うホームズのスタンスに驚きつつも、持ち前の素直さと精神力の強さで、一気に塾講師としての経験値をあげていく。

個別に生徒を見ることによって、表情やペンの動きから生徒の様子を推測したり、同じ問題でも人によって解きやすい・解きにくい解き方があることに気付く。
数学の計算問題を一つとっても、その生徒が解きやすいやり方を何度も提案して、目に見える形で生徒の計算力アップを達成。
現在では、第一線で活躍するホームズの看板講師の一人となる。

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